希望が閉ざされたら、本を開こう。

生き方を問い直す読書感想文

『近代日本人の発想の諸形式 他四篇』(伊藤整著、岩波書店、1981年)

「小説」を読むのは面白いが、「小説とは何か」を読むのもこれまた面白い。

「○○とは何か」というのは、一種の「定義づけの試み」である。「定義する」ということは、その対象を規定し、説明することだ。

正しい定義は、ひとつの対象に対してひとつだけ、と思われがちだが、実はそうではない。ひとつの対象に対して、複数の定義があってもよいのである。

もっと言えば、定義は「人の数だけあっていい」のであって、それはその人の「モノの見方」を提示することにほかならない。

だから「世界を変える」とか「革命」というのは、実は「定義の変更」であり、それを社会全体が認めれば「社会革命」になるし、個人的に承認すれば「自己変革」になる。

「定義」というと「絶対不変のもの」と思い込んでいる人もいるが、実はそうではなく、一時的にモノの見方を共有し、理解し合うための「約束事」として機能しているにすぎない。

このような観点から見れば、小説とは「世界と人間の定義づけ」の試みだと言ってよい。

ところで伊藤整は本書の中で、小説を次のように定義している。

「物語または叙述による生命の表現方法」

そしてさらに、こう述べる。

「生活者にとっては多くの場合意味を持たないと思われるものに文士は生命の表現の意味を見て、そういうものの組み合せの図式を考える」

実に魅力的な「小説の見方」ではないか。

とはいえ、このような伊藤の定義をもって、「小説とはこのようなものである」と考えてはならない。

ここで述べられているのは、あくまで「伊藤は小説をこのようなものとして見ている」ということにほかならないのだ。

ちなみに、コミュニケーションがうまくいかない場合というのは、ここに勘違いがあることが多い。

「相手の考えを認める」ということは、「相手の考えが正しいことを認める」ことではなく、「相手がそう考えていることを認める」ことである。

これを間違って認識していることで、「他者を認められない」という人はけっこう多い。

小説を読むという行為は、多様な人間の在り方を認める行為である。

ときどき、「小説をたくさん読んでいる」という人がものすごく不寛容だったりするのを見ることがあるが、そういう人はたぶん本当の意味で小説を「読んでいない」のではないだろうか。

小説という異世界を前にして、それを自分の世界から眺めているばかりで、そちら側に飛び込みはしないのである。

さて、伊藤の興味深い主張のひとつに、「芸または熟練が人間の救いになる」「孤独の中で、鍛錬によって才能を育て上げ、何人にも負けない存在となることを理想とする日本的な立身出世の認識形態」の存在がある。

伊藤は宮本武蔵源義経の物語を例に挙げ、近代文学においては幸田露伴の『風流仏』や『五重塔』などを挙げる。

しかし考えてみれば、僕らが夢中になった人気マンガにも、その思想は脈々と受け継がれている。「ドラゴンボール」しかり、「キャプテン翼」しかり、「幽遊白書」しかり(世代がバレる……)。

ここに登場する主人公は、本質的に孤独者なのだと思う(翼くんはそうでもないか)。そして伊藤はこう続ける。

「しかし彼の本質的姿勢は、調和性ある社会人ではない。孤独者が仮りにその技能によって社会に織り込まれたところの社会人なのである」

僕はここに、オタクとマンガの親和性を見る。

「孤独の中で芸を極める」マンガの主人公と、「孤独の中で何かに熱中する」オタクとしての自分。

あくまで「自分は他者と調和し得ない孤独者である」ということが、オタクの重要なアイデンティティであった気がする。

しかし最近のマンガは、かつてよりも「主人公と仲間とのつながり」が強調されているような気がしていて、それとともにオタクの在り方も変化してきているように思われる。

日本人の性質といえば「和を以て貴しとなす」がすぐ挙げられるが、その裏面には、このような「孤独者」としてのアイデンティティ、「究極の個人主義」があることも考え合わせなければならないだろう。

伊藤はこう述べる。

「音楽で言うと、日本には諸音の調和的構造なるハーモニイ形式はほとんどなく、メロディーの継起のみが主である、という点でもそれが確かめられるようである」

本書では他にも、江戸時代には作家が原稿料だけで生活することはできなかったこと、小説の文体が社会の価値観を反映していることなどを教えてくれて、実に興味深い。

ここでもう一度「小説の定義」の話に戻ると、伊藤は小説にとって大切なのはその形式ではなく、

「人間が自己とその在り方を認識し、そこから自分の生きる道を見出して行くことが根本的なことである」

と述べる。

これから小説を書きたいと思っている人にとっては、とても勇気づけられる言葉ではないだろうか。

タイトルは非常にカタイけれども、ものを書くことに興味がある人にはきっと面白く読めると思う。

近代日本人の発想の諸形式 他四篇 (岩波文庫 緑 96-1)

近代日本人の発想の諸形式 他四篇 (岩波文庫 緑 96-1)