希望が閉ざされたら、本を開こう。

生き方を問い直す読書感想文

『三国志 英雄ここにあり』第一巻〜第六巻(柴田錬三郎著、ランダムハウス講談社、2008年)

 

三国志 英雄ここにあり1

三国志 英雄ここにあり1

 

「人を、一度信頼されたならば、よけいな忠告はなさらぬことです」

劉備張飛が初めて出会ったシーンで、劉備が放った言葉。

比類なき偉丈夫である張飛に対して、全く怖じることなく、すでに君主の風格を感じさせる劉備。僕も死ぬまでにこんなセリフを一度は言ってみたいものである。

柴田錬三郎の『三国志』には、こういう含蓄のあるセリフがたくさん出てくる。

「一時の義憤で、軽挙を為すのは、小人であるぞ」

無実の罪で捕えられた師を救おうとする劉備に対し、盧植が諌めて言った言葉。

正義感や一時の激情によって、大志を閉ざすような行為をするのは、小人物の行いであると彼は言う。

会社で忖度しているしがないサラリーマンに見えても、実は大志を遂げんとする臥龍かもしれないので注意が必要である。

「ただ、好機いまだいたらず、臥龍は雲を待って、うずくまっているだけなのである。——いまに、みよ!」

まだ一国の主になる前の曹操の思いを表現した言葉。

そう、さえない毎日を送っていても、この言葉を心の中でつぶやけば、天下三分の計はもはや成ったも同然。

「いまに、みよ!」

ことあるごとに口にしていきたい。

ところで、柴田錬三郎氏の『三国志』は複数の出版社から出ているが、僕がオススメしたいのは、ここで紹介しているランダムハウス講談社版のもの。

何がいいって、正子公也さんの描く口絵がいい。

まさに「英雄ここにあり」というサブタイトルを象徴する、英雄たちの勇士が実にかっこいい。これがものすごく気持ちを高めてくれるのだ。

さて、三国志の魅力と言えば、やはり「人間と人間のぶつかり合い」であり、その中で紡がれる「人間の運命」の不思議であろう。

三国志は長い物語である。人間の栄枯盛衰、さらには国家の栄枯盛衰までが描かれる。

ある意味で人生の縮図であり、そこから僕らはいろんなことを学ぶことができる。

もちろん、これは史実を下敷きにしつつも、『三国志演義』をもとにしたフィクションにほかならない。

ただ、だからこそ、人間の運命の真実を、より象徴的に描き出すことに成功している、とも言えるのではないだろうか。

今回、僕が「ああ、確かにそういうことはあるなぁ」と思った言葉に、次のものがある。

「人間と申すものは、身分上下を措き、その初対面に於て、まなこを観た一瞬にして、志が合うか合わぬか、判ることであります。同明相見、同音相聞き、同志相従うのは、その一瞬に決定いたすもの。……まことに、申しわけないこと乍ら、わたしの心は、動きませぬ」

これは、諸葛亮孔明曹操と初めて出会い、その幕に招かれた際に言った言葉である。

第一印象というのは、「相手を直観的に捉えた時の印象」とも言える。その直観は、あらゆる利害・損得を排して、その人との相性を見通す。

ただ、物語を読み進めていくと、「ああ、孔明劉備に仕えたばかりに、こんな苦労をすることになったのではないか……」と思わずにはいられない。

もし魏の曹操に、あるいは呉の孫権に仕えていれば、苦もなく中華全土を統一していたのではないか、と。

しかしもっとリアルにイメージしてみると、曹操に仕えている孔明も、孫権に仕えている孔明も、やはり幸せではないような気がするのだ。

「全力を出し切れない」というか、「自分を活かしきれない」のではないか。

その主が劉備だったからこそ、数々の困難に遭いながらも、孔明の持つ叡智の限りを、出し尽くすことができたのではないだろうか。

もしかすると、人間にとって最も大きな欲望は、「幸せになりたい」ということよりも、「自分を活かし切りたい」ということなのかもしれない。

だから孔明は、自分が「幸福に生きられる」と思える君主よりも、自分が「全力を出し切れる」と思える君主を選んだのではないか。

だからやっぱり、孔明劉備を選んだのは正しかったと思うし、孔明は結果的に幸せだったのだと思う。

そしてもうひとつ、次の言葉も印象に残った。

「所詮、曹操劉備は、水と油であった。いずれは、雌雄を決しなければならぬ宿運を与えられていた、といえる」

別の言葉で言えば、「両雄並び立たず」であろうか。

僕はこれを読んで、単純に「どうしたって合わない人はいるんだ」と得心して、安心した気持ちになった。

どれほど仲良くなろうと努力しようが、天が二人のあいだを分かつならば、もはや手のほどこしようはない。粛々と運命に従うしかない。そして、それでよいのだ。

三国志は中国の戦乱の世の物語だが、人間の本質はどこでも変わらない。むしろ戦乱の世だからこそ、それがあらわになる、とも言える。

だから、それを別世界の話として読むのではなく、自分の毎日の生活の中に、すなわち自分の人生に生かしていきたいものである。

第四巻では、ついに希代の天才軍師・諸葛亮孔明の出廬である。

圧巻だったのは、孔明の師である司馬徽が、劉備関羽に、孔明のすごさを語るシーン。

簡単に説明すると、こうである。

司馬徽によると、孔明は自らの器を、管仲楽毅という、春秋戦国時代の伝説的英雄にたとえているという。関羽はそれを聞いて、「さすがにそれは言い過ぎではないか」といぶかる。それに対して司馬徽は、微笑しながら言う。

「確かに孔明が、管仲楽毅と自分を比べるのは少し間違っているかもしれない。比べるべき古人は、別にいる」

関羽が「それは誰でしょうか?」と聞くと、司馬徽は次のように答えた。

「周の八百年を興した姜子牙、漢の四百年をさかんにした張子房——この二人に、孔明を比べたならば、正しかろうと存ずる」

この言葉をきいて、関羽は、唖然となった。姜子牙、張子房といえば、管仲楽毅よりも、さらに高峰と仰がれる、群雄諸侯が欲する軍師の理想像だったのである。

……僕はこのエピソードが大好きだ。

「うんうん、そうですよね……ってもっとすごかったんかい!」

というノリツッコミ的展開。

孔明が「千年に一人」と言われる軍師であることが強調される場面である。

僕はこのシーンを読んで、これによく似た、あるエピソードを思い出した。

この日本でも、まさにこのような話が全国的に語られたことがあったのだ!

主人公は、ファミコン世代の英雄、高橋名人

「コントローラーのボタンを1秒間に16回連打する」という「16連射」で一世を風靡した人だ。

さて、そのエピソードの内容とは、こうである。

……あるとき、次のようなウワサが、まことしやかに流れ始めた。

高橋名人16連射は、ウソだったらしい」

誰もが、「やっぱりな」「そんなわけないと思った」と、彼を罵倒した。

そして彼の「16連射」は、確かにウソだったのである!

本当は「16連射」ではなく、「32連射」だったというのだ……。

「もっとスゴかったんかい!!」

……というエピソードが、まことしやかに全国に広まったのであった。

もちろんこの「32連射」というのは作り話なのだが(16連射は本当!)、要するに「それぐらいすごい」という話である。

高橋名人の32連射はともかく、孔明は、もしかすると本当に、姜子牙、張子房に比される天才だったのかもしれない。そしてこの『三国志』では、まさにそのような存在として描かれている。

三国志』において、諸葛亮孔明はまぎれもなく、物語の主人公のひとりなのである。

第五巻では、三国志のハイライトのひとつ「赤壁の戦い」が描かれる。

この戦いは「曹操VS孫権劉備連合軍」という形にはなっているが、孫権軍と劉備軍は一心同体というわけではない。

周瑜孫権軍)VS諸葛亮劉備軍)」という、もうひとつの戦いが陣中で展開することになる。

その戦いにおいては、諸葛亮孔明が連戦連勝し、結果、周瑜は心労から寿命を縮めることになる。

さて、この「赤壁の戦い」だけではなく、諸葛亮孔明の神算鬼謀はことごとく功を奏し、やがて劉備は蜀の国を手に入れる。

まさに「神」のごとき働きを見せる孔明だが、そのすごさは「知能」だけでは語れない。

それだけではなく、自分の知略を実行する「自信」と「決断力」こそが、孔明のすごさの神髄なのかもしれない。

というのも、僕らだって「いいアイデアを思いつく」ことはあるのだ。

仕事でもそうだし、テレビのニュースなんかを見ながらでもそうだが、「もっとこうしたらいいのに」と言う人はたくさんいる。

ところが、それを実践する人は果たしてどれだけいるだろうか。

しかも孔明のような軍師の立場は、ひとつの失敗が全軍の命運を尽きさせることもあり得る。いわば「賭け」の連続である。

そのような中で奇計をことごとく実践し、成功させるというのは、並の精神力ではとうていなし得ないことだろう。

だから孔明の活躍を見ていると、「自分がこうだと思ったことは、失敗を恐れずにやってみよう」という気になってくる。

だって、いくら孔明が天才的な頭脳を持っていたとしても、つねに「いや、本当にうまくいくかな……」とそれを実践しなければ、結局はただの凡夫と変わらない。

「そう思ったならば、そうするべき」なのだ。

あともうひとつ、『三国志』を読んでいて感じるのは、「ああ、国が滅びる時っていうのはこういう感じなんだな……」ということ。

これについては、物語の序盤のほうがより具体的に描かれている。

乱世とは多くの国が滅びる時代でもある。

そしてもし今の日本が、この物語の中に登場したとしたら、間違いなく「あ、この国は近いうちに滅びるな」と誰もが思うことだろう。

その理由は数え上げればキリがないが、二つだけ挙げるならこれだろう。

ひとつは、権力者の横暴、私利私欲をむさぼろうとする様を、誰も止められなくなっていること。

もうひとつは、そのことによって倫理観が腐敗し、理が通らなくなっていること。

物語の中でこれを見れば、まぎれもなく亡国の兆しである。

ところが、これが現実世界で起こると、その明らかな「亡国の兆し」を、僕らは容易に見過ごす。なんとなく惰性で、「今のままの世の中が続く」と思い込んでいるのだ。

しかし僕は、世界の現状を「乱世」として捉えておいたほうがいいと思っている。統計的な観点も含めて、千年単位の未曾有の変化がやって来ているのである。これはまぎれもない事実である。

さて、そんな世の中で、僕は、あなたは、孔明のような良き軍師たり得るだろうか。

そのような意味でも、『三国志』はいまこそ読み直す価値のある古典である。

そして最終巻となる第六巻。

劉備関羽張飛ら、物語の冒頭から登場した英雄たちが、次々と命を落とす。

臥竜孔明と相並ぶ異才、鳳雛龐統も天命には逆らえず、戦死した。

劉備らと覇権を争い続けた曹操も逝く。

「戦いつづけることだけが、渠(かれ)らの人生であった。それが乱世に生れた者の宿命であった」

人は生まれる時代を選べない。

十分な生を全うしようと思えば、その時代を十全に生きようとするしかない。

「あるいは、別の時代に生まれていたならば……」という妄想は、頭の中で展開するのみである。

しかし、どの時代にあっても変わらない真理もある。

「人は生まれ、そして必ず死ぬ」ということである。

劉備は死の床にあって、「……人のまさに死せんとするや、その言や善し——と申す。さいごの言葉を、ききおいて頂こう」と言い、孔明に遺言を託す。

人が死に際して述べる言葉は、私利私欲を離れた貴いものであるから、心して聞くべし……くらいの意味だろうか。

しかし、ふと思う。

死に際するまでもなく、私利私欲を離れて生きられないものだろうか……、と。

それがほとんど叶わないことは、ごく一部の例外を除いて、人類の歴史が証明している。

それでも、「そのように生きたい」と思いながら生きるのと、そうでないのとでは、天地の開きがあるだろう。

著者の柴田錬三郎は、この『三国志』の中で、諸葛亮孔明こそ、「そのように生きた人」として描いたように見える。

彼は孔明についての思い入れを、次のように語っている。

「実は、私は、『三国志』を書こうとした時、すでに、その時、筆を擱(お)くべき最後の場面を、想い泛(うか)べていたのである。いささか誇張していえば、私は、孔明が出師の表をしたためて、魏と決戦すべく、成都を出発する場面を描きたいために、『三国志』を書きはじめた、といえるのである。『英雄ここにあり』という題名は、その場面のために、つけた」

孔明の生き方をどう評価するかについては、読者諸氏におまかせするとして、よりよい生を全うするための手段として、「模倣すべき先達を見つける」ことが有効であることは、多くの人が同意するところではないだろうか。

端的に言えば、「よき師を持つ」ということである。

そして、平時には平時の師が、乱世には乱世の師がいてしかるべきである。

だから僕は、二人の師を持つことをオススメしたい。一人の師からの学びを、もう一人の師が、より深いものとしてくれるだろう。

この『三国志』に登場する英雄たちの中から、自ら仰ぐべき「師」を探してみるのも一興だろう。もちろんそれは「乱世の師」である。

「義のために生き、義のために死んだ」関羽がいる。

「治世の能臣、乱世の奸雄」と評された曹操がいる。

徳をもって臣を治めた劉備が、清廉を貫いた孔明がいる。

そのような視点で、『三国志』を読んでみるのも面白いだろう。

三国志 英雄ここにあり2

三国志 英雄ここにあり2