希望が閉ざされたら、本を開こう。

生き方を問い直す読書感想文

『漫画 君たちはどう生きるか』(吉野源三郎原作、羽賀翔一漫画、マガジンハウス、2017年)

異例のヒットを飛ばした話題の漫画。

ご存知のとおり、1937年に出版された『君たちはどう生きるか』を漫画にしたものである。

ちなみに僕は原作のほうは読んでいないので、これはあくまでこの漫画についての感想である。

結論から言うと大変おもしろかったのだが、やはり80年前に出版された内容なので、今の時代にそぐわない部分もある。

さらに当時の時代背景、すなわち「日中戦争の開戦とともに、いよいよ総力戦体制が本格化していった時期」に出版されたものである、ということも頭に入れたうえで読んだほうがいいと思う。

特にナポレオンの英雄性への言及には、太平洋戦争に向かっていく当時の日本の空気感を感じずにはいられない。

とはいえ、吉野は一面においてナポレオンの偉大さを讃えつつ、彼の為した事業については、真に値打ちのあるものではなかった、と結論づけている。

なぜならナポレオンは、自らの権勢のために、60万人以上の人々を無残にも死に追いやり、「多くの人を苦しめる人間となってしまった」のであり、「世の中の正しい進歩にとって有害なものと化してしまった」からである。

「英雄とか偉人とかいわれている人々の中で、本当に尊敬ができるのは、人類の進歩に役立った人だけだ。そして、彼らの非凡な事業のうち、真に値打ちのあるものは、ただこの流れに沿って行われた事業だけだ」(222頁)

これを読んで、「では、人類の進歩とは何ぞや」という問いを持った人は多いだろう。

特に現代では、人類の進歩史観は後退し、むしろ「人類は退歩しているのではないか」という疑念が世界を覆いはじめている。

そのような視点でこれを読めば、80年前はまだ人類の進歩に希望を持てた時代だったのか、というような気もしてくる。

だが吉野はおそらく、ナポレオンの英雄性を肯定しながらも、ナポレオンの事業=戦争を否定することによって、反戦主義を明確に表明しようとしたのではないか。

つまり、「戦争をしている時点で、人類はまだじゅうぶん進歩していないのだ」ということを、当時の社会に投げかけようとしていたのではないか。

そしてナポレオンの英雄性をもって、われわれは「本当の進歩」に向かってゆかなければならない、と。

原作はずいぶん著名なので、このへんについてはすでにじゅうぶんな議論がなされていると思うけれども、それを見て書いたのでは個人的に面白くないので(笑)、僕はそれらを見ずに書くのである。

僕がなによりこの本が気に入ったのは、「人間の弱さ」から目を背けることなく、むしろその弱さから出発して、人間を論じているところである。

最後のほうにある、「人間の悩みと、過ちと、偉大さについて」は名文だと思う。ここを読むだけでも、この本を手にする価値があると僕は思う。

全文を紹介するわけにはいかないので、そのごく一部だけを、ここに引用しておくことにする。

「心に感じる苦しみやつらさは人間が人間として正常な状態にいないことから生じて、そのことを僕たちに知らせてくれるものだ。そして僕たちは、その苦痛のおかげで、人間が本来どいういうものであるべきかということを、しっかりと心に捕えることができる」(295頁)

人間が過ちを悔いるのは、そうではなく行動する力が自分にあるからだ、と吉野は言う。

人間の弱さは、人間の可能性の影である。

それは人間の存在の証であり、よりよく生きようとする人間の、立派さの証でもある。

漫画 君たちはどう生きるか

漫画 君たちはどう生きるか