『常世の舟を漕ぎて 水俣病私史』(緒方正人語り、辻信一構成、世織書房、1996年)
水俣病によって尊敬する父を亡くした、緒方正人さん。
彼自身もまた同じ病に冒されながら、国家・行政・企業と闘い続けた。
ついには自ら水俣病の認定申請を取り下げ、その後の狂いの時を経て、「チッソというのはもうひとりの自分のこと」という境地に至った。
まさに菩薩のような人だ。
彼が重視する「個人」とは、近代的な「バラバラの個人」のことではなく、「自然や共同体と一体となった個人」であり、それは巨大で無機質な「システム」に対する「人間」のことを意味している。
現代人は、自らがシステムの中に取り込まれた存在であることを自覚し、そのうえでいかに「人間」として生きるかを常に問い続けなければならない。
ここで問われている「システム」と「人間」の対立は、今日の原発の問題に象徴的に表れている。
原子力発電を推進させているのは、「人が人を人と思わなくなった」社会の存在にほかならない。
「ここが昔の人たちと今の人たちの決定的な違いです。今五○年、百年先のことを考えている人間が日本に何人おるでしょうか」
「チッソの責任、国家の責任と言い続ける自分をふと省みて、『もし自分がチッソや行政の中にいたなら、やはり彼らと同じことをしていたのではないか』と問うてみる。すると、この問いを到底否定しえない自分があるわけです。それは自分の中にもチッソがいるということではないでしょうか」
緒方さんのこの問いかけは、僕たち一人ひとりに向けられている。