希望が閉ざされたら、本を開こう。

生き方を問い直す読書感想文

【書評】リチャード・フロリダ著、井口典夫訳『新クリエイティブ資本論 才能が経済と都市の主役となる』ダイヤモンド社、2014年

僕はかつて、コピーライターとして広告クリエイティブの仕事に関わっていた。そのこともあって、旧版が出版された時から気になっていた本である。しかし手に取るまでには至らず、10年ほど経ってしまった。だが今回、ある人のすすめもあって、新たに出版されていた新版の方を読むことになった。

10年前に出版された内容をベースにしているので、正直なところ、あまり新鮮味は感じなかった。また、旧版への批判に対応するため、持論を補強するデータや論述がかなり追加されているようで、これも初めて読む人にとっては蛇足感が否めないだろう。エビデンスが大事なのはわかるのだが、それによって、著者の打ち出したい視点や主張が捉えづらくなってしまっているように見えるのはもったいない。その意味では、おそらく旧版の方がずいぶん読みやすい構成になっているのではないだろうか。とはいえ、僕は旧版を読んでいないのでこの点は分からない。「いや、そんなことないよ」という見解があれば、ぜひご教示いただきたい。

だがいずれにせよ、本書では今後の社会を展望する上で、抑えておくべき観点が鋭く指摘されており、「新しい時代の働き方」を考えるための一助になることは間違いない。「死の床で『もっと長い時間を職場で過ごしたかった』と遺言を残す者などいない」(111頁)という古いことわざが紹介されているが、仕事をそのような「苦役」的なものから解放することが、これからの働き方のひとつの方向性になってゆくだろう。

しかしそれは「資本主義」を動力とする社会において可能なのだろうか。その点において、本書はもうひとつ食い足りない感が否めなかった。というのも、本書は既存の「成長」の在り方に疑問を呈しながらも、あくまでその基盤には資本主義の原理を置いている。本書で指摘されている「クリエイティブクラスの台頭」という新しいパラダイムは、その枠内における動きにすぎないのだ。現代はすでに「資本主義の終焉」が議論されている時代であり(先日もまさにそのテーマの番組がNHKで放送されていた)、本書はある意味で「資本主義の延命策」として読むこともできてしまうのだ。

面白い本ではあるのだが、なんとなく議論が浅薄に見えるのは、結局は経済成長を重要な指標としているからだろう。著者であるフロリダ氏自身がこう述べている。

「三○年あまりに及ぶ研究生活の中で、私は常に、経済成長を促す原動力を明らかにするという、たった一つの事柄に携わってきた。……私が芸術や文化、多様性に関心を持つようになったのは、(研究を初めて随分経ってからのことだが)、それらが経済成長のプロセスに欠かせない要素だと感じたからだ」(334頁)

この観点が、本書の視点の面白さであり、また同時に限界をも示していると言わなければならない。例えば、「ほぼすべての分野で長期的に見て勝利者となるのは、何かを作り出せる、作り続けられる人たちである」(26頁)という主張。その言わんとすることはよくわかるのだが、「勝者と敗者」という枠組み自体を解体していかなければ、既存のパラダイムに飲み込まれてしまうのである。

もちろんそれは、僕が個人的に「もの足りない」というだけの話なのであって、本書は十分にその役割を果たしている。フロリダ氏も「成長」の内容を問い直すことを促しているように、「クリエイティブ」はまさにその点において発揮されなければならない。既存の「経済成長」のためだけにクリエイティビティが重要だとされるならば、それはこれからの時代においては、真のクリエイティブとはもはや言えないだろう。そうではなく、「経済成長とは何か」を問い直し、新しい時代の価値観を創造するクリエイティビティこそが、これからの時代の、真のクリエイティブであるはずなのである。

新 クリエイティブ資本論---才能が経済と都市の主役となる

新 クリエイティブ資本論---才能が経済と都市の主役となる