『HERE ヒア』(リチャード・マグワイア著、大久保譲訳、国書刊行会、2016年)
同じ部屋、同じ場所、同じ空間に、「過去」「現在」「未来」を併存させる。
ふつうの感覚ではありえないこの事態を疑似体験させてくれるのが、この不思議な本『HERE ヒア』である。
しかもその時間幅は、「紀元前30億50万年から22175年まで」と、私たちの日常生活における時間意識をはるかに超えていく。
本書の中には、
「あの人はずっとああだったんだから」
「今までいつもこうだった 変わらないんだわ」
というセリフが登場する。
だがこれほどの時間幅の前では、このセリフの中にある
「ずっと」
「いつも」
「変わらない」
という言葉の枠組みが崩壊し、すべてが刹那的な色彩を帯びる。
だがこのような「過去」「現在」「未来」の併存を、私たちは日常生活の中で、実は無意識的に体感している。
たとえば、父親が自分の子どもの姿を見て、「過去の自分」の姿と重ね合わせる。あるいはその子どもを通して、「未来の社会」のイメージを感知する。
このとき、父親と子どもの関係の中で、「過去」「現在」「未来」が併存しているのである。
これを僕は「時間様相の共時性」と呼んでいる。
「時間様相」とは「過去」「現在」「未来」のこと。時間における三つの様相のことである。
この「過去」「現在」「未来」が「同時に」存在することが、「時間様相の共時性」である。
これは、ふつうに考えれば論理矛盾である。しかし、意識の中では成立し得る。
私たちは「現在」を生きながら、「過去」と「未来」も同時に生きているのである。
しかしここでの「過去」と「未来」が、ただの抽象的なイメージにすぎないとき、それを意識する自身の存在自体も抽象的なものとして感じられる。
それに対して、先ほど例にあげた父と子の関係のように、「他者を通して感じられた過去や未来」は、それを意識する自身の存在を具体的なものとして感知させる。
この「具体性」こそが、「自分が生きている実感」としての「自己存在感」を、確かなものにしてくれるのである。
本書『HERE ヒア』に登場する部屋は、実際の著者自身の部屋であり、またその内容は、著者自身の家族の歴史が反映されているという。
だからきっとこの本の制作は、彼自身にとって「自己存在感」を確かなものにするプロセスでもあったに違いない。
そして読者もこの本を通して、自分が生きる「現在」がどのような「過去」と「未来」に包まれているのかに思いを馳せずにはいられないだろう。